夢追い
嬉しかったのだ。
自分にも精霊が見えた事が。そして、その精霊がすでに自分の中にいる事が。
一人前の神官になれたような気がした。
立派な神官になれる保証が立ったと、思った。
「シャダ様、私のカーの封印を解いてください。私、もう封印なんて必要ありません」
「……」
目を閉じたまま、シャダは小さく首を左右に振った。
「だめだ、まだ早い」
静かに開かれた瞳は、まっすぐにを捉える。
「どうしてですか? 私だって、封印を解いてもらってちゃんと修行すればシャダ様たちのように立派に戦える神官になれます! それとも、シャダ様も私を役に立たない小娘だと思ってたんですか?」
あの、青い瞳の冷たい神官のように。態度にしないだけで。
もしもそうならば、悲しい。
シャダはセトと違って本当に優しくていい師匠だった。それは、自分を見込んでそうしてくれているのだと思っていただけに、本心がもしもセトと同じならば、きっと耐えられないだろう。
「、戦力は今にでも欲しい。お前のカーが使えるのならば、封印は今すぐにでも解いてやりたいくらいだ」
「じゃあどうして!?」
声は思わず大きくなる。
戦力が欲しいのならば、いくらでも力になる。戦力になると、そう思ってもらえるのならばむしろ幸せだ。自分は、役立たずではないと分かるから。
「、お前がいなかった昨夜王宮に盗賊が侵入したのだ。……ただ一人の盗賊に、我々の力は叶わなかった。情けないと、思うだろう?」
「そんなの、嘘でしょう? だってシャダ様たち神官団は千年宝物の力でどの神官よりも強力なカーを呼んで戦えるのに」
ちいさくむくれるは、ふいとシャダから目をそらす。
「嘘ならばどれ程良かっただろう。先代ファラオの墓を暴かれ、玉座までの道を許してしまい、挙句ファラオまでをも危険に晒してしまった。……王宮にも街にも、多くの被害が出た。我々六人の神官団の力を持っても、あの盗賊のカーに勝つ事は出来なかったのだ。顔をあげなさい、。これはお前とお前のカーに深く関係する事だ」
はっきりと発せられた言葉は拒否を許さない。
は奥歯をかみしめて顔をあげ、シャダの顔を見た。
「私はお前を役立たずだなどと思った事は無い。お前は勘違いしているようだが、セトもそうだ。ただ、お前は危険すぎた」
王宮に来てすぐ、闘技場でカーを召喚したこと。それが決定づけてしまった。
「己の意志になくカーを召喚する事は、神官として致命的な欠点になる。思いのままに操れぬカーは、ただの凶暴な魔物にすぎない。今のお前はまさにそんな状態だ。現に闘技場で黒竜を呼び出したとき、放っておけばお前のカーはセトを殺していたかもしれない」
「……うそだ……わたし、そんな事考えたこともないのに……」
声は小さく、はまた視線を落とした。
確かに気に入らないと思っていた。これからも好きになんてなれそうにない。
それでもセトが死ねばいいなど思った事はない。
胸の中を、暗い雲が覆い尽くしていくような感覚。
一瞬火照った指先から、再び熱が逃げて行く。
シャダの言葉は、彼女を深い穴に突き落としていくようだった。
「お前の意志は関係ない。カーの暴走とはそんなものだ。お前のカーは、お前を危険にさらすモノから主を守ろうとしたまでだ。そこに罪は無い」
は黒竜の宿主だから、を守ろうと黒竜は姿を現した。
「カーを心に宿す者として、お前は未熟すぎる。神官になろうと思うのならば、カーをファラオのために操れ。お前の未熟さは、あまりに危ういのだ」
黒竜があまりに強力な力を持つが故に。
無意識の刃は、時として意志を持ったそれよりも危険な存在になりうる。
「自覚を持て、。お前のカーはその気になればファラオのお命を脅かし、この国を破滅へ導く可能性すらある事を忘れるな。お前の意志に関係なくお前の守りたいと思うものも全て消し去る事など、あの黒竜には造作もない事だと、決して忘れるな。自分の宿したカーがどれ程の力を持っているのか、勘違いするな」
でなければ、彼女はいつか後悔する日が来てしまう。
亡くしてからでは遅い。終わってからでは手遅れになる。
まだ飛び立つ前、花開く前の今、彼女の基盤を完成させなければ。
「だから……」
修行をしなさい。自分のカーに負けないように。いつか国を背負う神官となるために。
誰よりも立派な神官になるために、修行をしなさい。
その言葉は、彼の口から出る前に消えた。
言いすぎたのだと気付いた時、はもう背を向けて走り出していた。
「!!」
追いかけようと足を動かし、シャダは立ち止った。
涙で潤んだ紅い瞳が鮮烈に焼きついて頭から離れない。
追いかけていっても結局自分は謝る事も慰める事もできはしないし、慰めても意味は無いのだ。
そうした所での持つ危険性が変わる訳でも無いのだから。
「師匠失格、だろうか」
ぽつりと呟いて、シャダは溜息をついた。
こういう時、同性のアイシスや優しいマハードならば、もっと気を使った言い方ができたのだろうと少し思う。
しかし不器用な自分にはこれが精いっぱいだった。
回廊を走りながら、逃げ出した事を後悔した。
これではまるで、シャダが悪いようになってしまう。それでも、にはあれ以上シャダの言葉を聞くことが耐えられなかった。
カーを宿した事が嬉しくて仕方なくて、それが危険な事だとは露にも思わなかった。
てっきりシャダも喜んでくれるとばかり思っていたのに。
けれどシャダは知っていたのだ。
が既にカーを宿している事。そしてそのカーが危険である事。だから、封印の術を施した。
知らなかったのは本人だけ。
「……ばかみたい」
浮かれた自分が恥ずかしい。
そして、信じられない。
セトを殺そうとした、という事実。
けれどそれを聞いてどこか納得する自分がいる。
王宮へやって来てからずっと、異常とも思えるほどつらく当たってきた彼の態度が、正当な理由あるものだったということ。意味無く嫌われていたのでは無い。
原因は本人。
ひと気の無い所で立ち止まり、地面にしゃがんで声を殺して泣いた。
答えは簡単で、頭ではこれからすべき事はもう解っているはずなのに、心はそれについていけない。
そしてただ一つ、心と裏腹に叫ぶ頭の中の声。
もう王宮には居られない。早く出ていかなければ。
家にももう帰れない。
どこか遠くに行かなくては。
行く当てなど無くても。そうしないと今度は本当に誰かを殺してしまうかもしれない。
そう思った時、全身に鳥肌が立った。
これは恐怖なのだと、気付く。
自分の力が、人を殺してしまう。
自分が、殺してしまう。
目の前の誰かを。
目の前がぐらりと傾いだ。
そのままごとりと石の床に頭を下ろす。
陽の当たらないそこはひんやりとしていて、それが一層悲しい。
「……いやだ……」
零れた言葉は掠れていて、はそれでも繰り返す。
「いやだ、いやだ……」
誰かの命を奪うとか、誰かが死んでいなくなるとか、そんな事を考えた事は無かった。
そしてそれが、簡単にできるとも思っていなかった。
自分の手で人を殺すなど、想像もしなかった。
「やだよ……っ……」
繰り返す声は途切れ途切れ。しゃくりあげる中での呟きは、ただ無意識。
指先も足先も床も冷たいのに、目と頬だけはおかしいくらいに熱を帯びていて、その熱が逃げれば自分は冷たくなって消えてしまうのだろうと思った。
そうして頭が真っ白になって、とうとう声も出なくなって、力の入らない瞼が下りてくるとき、彼女の脳裏に浮かんだのは美しく輝く微笑だった。
「、泣かないで?」
優しい声は夢でも構わなかった。
夢ならば、会いたくても会えない現実より幸せだから。
そして、黒竜が彼女を傷つける事も決して無いから。
* * *
無言で回廊を進む。
石板を納める神殿へと続くそこは、一般の神官は出入りを許されない区画。
足を進めるごとに重量すら感じる程の深い静寂が辺りを包んでゆく。
と、彼はそこで足を止めた。
陽の当たらない回廊の隅で丸くなるように倒れている少女を見間違うはずも無い、シャダのお気に入りのだ。
「……貴様、何をしている!」
すぐさま張り上げた声に反応は無い。
ぴくりとも動かない彼女の傍まで近づき、再び声をあげる。
「目を覚ませ!! ここをどこだと思っている!!」
腕を組んで見下ろせば、突っ伏した背中は小さく動いている。
どうやら生きているらしい。が、やはり全く反応しない彼女にセトの苛立ちはさらに増す。
数秒待っても変わらないのを確認し、彼の声は怒声に近くなった。
「目を覚ませと言っているのが聞こえないのか!!」
言うや否や伸ばした腕で、遠慮なく引き起こすとは小さく呻いて赤い瞳をうっすらと開いた。
焦点の定まらない瞳はどこか危うさを感じさせ、セトはもう一度口を開く。
「何度言わせる! 目を覚ませ!!」
「せと……さ、ま……」
ようやっと出た呟きは彼の名。
ぼんやりした彼女の瞳に安堵の色が滲んだのを、セトは見逃さなかった。
しかし、それに対する疑問を感じるより早く、の口は言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい……」
震える声に、動きが止まる。
見返した瞳には涙が浮かんでいて、それがより不可解だと思った。
「ごめんなさい」
繰り返すようにもう一度。
そしては再び瞳を閉じた。
涙の跡の残る顔を数秒見つめ、彼はを引き起こしていた腕を離す。
どさりと音をたてて再び床の上に倒れた少女を見下ろす表情は小さな笑み。
悩まずとも、答えならば目の前にあった。
戦力が足りないのならば、作れば良いのだ。
素材ならば街にもある。
見つけに行けば、それなりのモノが見つかるだろう。
笑みを張りつけたまま、彼は神殿の最奥を目指す。
そこには彼が師と仰ぐアクナディンが彼を待っているはずだった。
この考えを早く伝えたい。
はやる心を押さえるように、ことさらゆっくりと歩きながら、彼はアクナディンが自分の考えに賛同してくれる事を疑わなかった。
* * *
幸せな夢を見た。
大丈夫よ、と囁いて抱き締めてくれた腕は、とても懐かしいもの。
離したくない、と目をあげると、優しく微笑む青い瞳の女神がいた。
目を覚ますと、よく知る自室だった。
寝台の隣には大きな瞳いっぱいに心配の色を浮かべた友人がいて、その後ろに立っているのは切れない腐れ縁の幼なじみ。
「!!」
目が会うなり飛びついて来たマナは、涙を浮かべて良かった、と繰り返した。
「心配したんだからぁっ!! のばかぁ!!」
「ま、マナ……?」
まばたきをして名前を呼ぶと、マナはまくしたてるように言う。
「どこも痛くない!? 具合悪くない!? 一体どれだけ眠ってたと思ってるの!?」
マナはそう言うが、痛いとか具合が悪いとか、それ以前に体はひどく軽く感じられた。普段より快調かもしれない。
「あの夜以来王宮はぴりぴりしてるし、お師匠様もなんだかよそよそしいし、は目を覚まさないし……」
ごしごしと目をこするマナを見つめながら、は尋ねた。
「私、そんなに寝てた?」
「三日間」
答えたのはジョーノ。
「み、みっか……?」
いくらなんでも寝過ぎだろう。
「シャダ様が無理に起こしちゃ駄目だって言うから、あたしたち横で見てるしかできなかったの」
言いながら、マナはコップに水を注いで渡す。
ちびりとそれを口に含んで、は続きを促した。
「シャダ様がね、は心の中で戦ってるから、それはの戦いだから、あたしたちはが決心して目を覚ますまで手を出しちゃいけないって。お師匠様も、アイシス様も、シモン様もおんなじ事言ったの」
「で、その言いつけを守って見守り続けた結果が今だ」
ぐすぐすと鼻をすすっているマナの代わりに言ったジョーノが首を傾げる。
「で、心の中の戦いとやらはどうなったんだ、?」
「カーが見えるようになったんでしょ? ずるいよ、」
ふたりの言葉に目を細めた。
そうだ、答えなら簡単だ。
守りたいものがあって王宮へやってきた。
そしてここにも、亡くしたくないものがある。
手を伸ばして触れたマナの手はとても温かくて、それだけで自分の心も温かくなる。
「?」
まばたきをして首を傾げるマナに、笑ってみせる。
「それでもマナの方が魔術も武術もずっと先輩なんだよ?」
だから、お互い様ね。
ウインクをすれば、マナは仕方ないなぁ、と照れ笑い。
その後ろの居心地の悪そうなジョーノを見て、は「心配したの?」と一言尋ねた。
帰ってきた答えはいつも通り生意気な声で。
「ばっか、してねぇよ」
その変わらない彼の態度が嬉しくては小さく頷いた。
あなたの優しい手が触れたの。
そのとき、私は逃げないと誓ったわ。