星流れ
月の無い空の下で、友を待つ。
明るい時間は、家族が離してくれなかった。
それは、とても楽しい時間だったけれど、その後の予定を考えれば少し落ち着かなくて、家族に悪い事をしたと、一人思う。
空を見上げれば輝く星。
星座を見つけながら、今から会いに行く友を思った。
会ったらまず何と言おうか。
『元気だった?』『会いたかったよ』『寂しかったよね?』
いや、そうじゃない。
はち切れそうなこの気持ちは……
『ごめんね。大好き』
多分、会えたら泣いてしまうのだろう。
嬉しくて、嬉しくて、待っていてくれた彼女に申し訳なくて。
情けないと思うが、キサラの前では無意味な虚勢を張る気にもなれないし、何より嘘をつきたくない。
泣かないように、ジョーノを連れていこうと思ったのだが……
「多分、関係ないだろうし」
「なぁにが関係無いって?」
続けるように紡がれた声に、振り帰る。
「よ、待たせたな」
右手をあげてそう言う幼なじみを軽く睨んだ。
「全くだわ。結構待ったんだからね?」
行くわよ、とジョーノの腕を引きながら歩きだす。
暗闇の中で星明りを頼りに歩を進める。通い慣れた道。けれどもうずいぶん久しぶりの道。
斜め後ろを歩くジョーノが小さく話しかけてきた。
「なぁ、馬とか無くても良かったのか?」
「あれば便利だろうけどね」
けれど、見つかるリスクは高くなる。
できれば、彼女のためにも誰にも見つからないように行動したかった。
肩からかけたカバンを握りしめ、はゆっくり口を開く。
「……キサラはね、凄く優しくて心がきれいで、まるで私とは大違いなんだ」
ああ、と小さく頷いてジョーノは答える。
「つまり、お前の正反対ってとこか」
「やっぱあんたむかつくわ」
低く言い返してジョーノを睨む。
赤い瞳は言葉に反して優しい光を灯していた。ふと、瞳の力を抜いて、は笑みを浮かべる。
「ねぇジョーノ」
少し楽しそうに、小首を傾げながら彼女は問う。
「何だよ」
続きを促すと、そのままの声音では言った。
「私さ、ちょっとは成長したと思う?」
それは、冗談とも取れる言い方。からかうような口調はそれでも本気の影をちらつかせている。
少し考えて、ジョーノはを見た。
「まぁ、一年たったしな。流石にガキん頃と比べたら成長してるんじゃねぇの?」
「あ、そう」
淡白に答えて空に目をやったはすぐにジョーノを見る。
「ねぇ、知ってる? 私、結構頑張ってるの」
「はぁ? 知るかよ。神殿の内情なんて俺らのとこまで来ねぇんだから」
「はぁ? 何それ。いっつも王宮の至る所にいるくせに」
「……真似すんなよ」
「別にいいじゃん。減るもんでもないし」
口応えも相変わらず。
さらさらと流れる彼女の黒髪は闇に溶けて、それでもはっきりと輪郭を光らせていた。
本当は、少しだけなら噂も聞く。
男ばかり集まる兵士の間では、神官のアイシスや、魔術師の見習のマナのどちらが人気があるかとか、そういう話で大いに盛り上がる事だってある。その人気投票の中に少数派としてちゃっかりも居たりするのだが、それを言うとまた彼女は天狗になりそうなのであえて言わない。
ちなみにジョーノはアイシス派。
あのお姉様の色気がたまらない。あれはにもマナにも無いと彼は常々力説しているが、そんな事は勿論知られる訳にはいかないので黙っておく。
「それより、結構遠いのか?」
歩き出してそれなりの時間が経った。
しかも向かうのは旅人も通らないような砂漠の辺境。不安は昼間より大きくなる。
本当に人がいるのか大いに疑わしい。
「うん。まぁ遠いわね。だって私、夕方出発してジョーノんとこにお世話になるとか嘘ついてキサラんとこに泊まったりしてたから」
「……常識的に考えて許されねぇよな、それ」
「うん、だろうね。どう考えても」
あっさりと答える彼女に罪悪感があるのかはかなり疑わしい。きっと無いに決まっている。
の両親が外泊を許したのもジョーノの家だからだ。親同士も仲が良く昔からお互い何かと世話になっている。間違いは無いと考えての事だったのだろう。
そういえば「今日はあんたのとこに泊まった事にしてあるから」とか何とか、アリバイ作りの手伝いをさせられたような気がする。
こんな人間が神官になるだなんて、この国の行方が心配だ。ものすごく。
胸を押さえるジョーノ。そんな彼の肩を叩いて、は空を指差した。
「見て。夜の砂漠から見る空ってすごく綺麗なの。知ってた?」
見上げれば、町よりも透明な星が散りばめられた空。
同じ星座がそこにはあるのに、輝きはいつも見るものよりずっと洗練されている。
「ファラオの持ってる宝石だって、この星空にはかなわないわよ、絶対」
自信満々に言う彼女の言葉にも納得できる。
鳥肌の立つような、吸いこまれる程の美しさ。底の見えない闇を彩る無数の輝き。
手が届かないからこそ美しいそれは、確かにどんな宝石よりも美しい。
誰の物にもならない、天上の宝箱。
「すげぇ……」
小さく呟くと「そうでしょ」との声が聞こえた。
こればっかりは頷かざるをえないな、そう思った時だった。
空からこぼれ落ちる、ひとつの星。
視界を駆け抜けたそれは、彼らが今までいた街の方角へ向かい、消えた。
「星が、落ちた」
呟いては星が消えたであろう街の上に目をやり、目を見開いた。
「なに、あれ」
思わず漏れる声。
呆然とした呟きはジョーノにも理解できたらしく、彼も無言で目を見開いたまま街を見ている。
否、街の最奥に鎮座する王宮を。
夜も更け本来ならば暗く静かなはずの王宮からは光の柱は立ち上っている。
その光景は明らかに異常だった。
「おい、」
低く言ったジョーノが彼女の肩を掴んでも、は反応しない。
ただ、何かに憑かれたようにじっと王宮を見つめていた。
まばたきひとつしない赤い瞳は、暗闇でもわかる光を放っている。
その様子もまた明らかに異常で、ジョーノはごくりと唾を飲んだ。
目の前のよく知る少女が、何か得体の知れないモノのように感じられて。
開きかけた口を閉じる事も、それ以上開く事もできない。
やがて、目の前の彼女は空耳かと思う程小さな声で呟いた。
「カー、だ……」
大きくなる胸騒ぎ。
頭から雷に打たれたような震えが走る。
心臓を鷲掴みにされたように胸が苦しい。
動く事も出来ずにはただひたすら王宮を見つめた。
朝までいた場所。
一年を過ごした場所。
かつて目標に誓った場所。
美しく荘厳で、この世の贅が全て詰まっているかのような、王宮。
あそこには、皆がいるのに。
一体何が起こっている?
誰か、教えて。
あの場所に一体何が起こっているのかを!!
風が、駆け抜けて行った。
吹き抜けた風を通して感じる禍々しい気配。
それと同時に感じる、納まる場所の無い程に力強い大地の鼓動。
「何なのよ、一体」
彼女は唇を噛んだ。
なぜ、王宮にカーがいると解かったのか。
自身、まだカーを見るどころか、その存在を感じることすらできない。
それなのに、なぜ今。
苛立ちと同時に、暴れだしたい衝動に駆られる。
抑えがたいその感覚に目眩すら覚える。
力を入れずぎた手が震えているのが自分でもわかる。けれど、そうでもしていないと頭がおかしくなりそうだ。
意識してゆっくりと呼吸を繰り返し、自分に言い聞かせるようにしてジョーノを見た。
「ジョーノ」
ことさらゆっくり名前を呼んで見上げた彼の顔に浮かぶのは、恐怖。
「な、んだよ、」
答える声は少しかすれていて、それが決め手だった。
荒れた心が冷えていく。
「うん。なんだろう」
そう答えた自分の声はまるで他人の声のように遠くで聞こえた。頭の奥に妙に冷静な自分がいるのが可笑しくて、は小さく笑みを浮かべる。それが不可解だったのか、ジョーノはさらに訝しげに彼女を見た。
「?」
「ああ、ごめん。なんでもない」
その言葉は、ジョーノには偽りに聞こえる。
何でもない事があるだろうか。
現に王宮は全くもって不可解な光を発しているし、今目の前にいる幼なじみの様子は明らかにおかしかった。
彼に恐怖を抱かせる何かが、そこにはあったというのに。
なのに彼女自身はそれにすら気付いていない様子でこちらを見ている。
もどらなければ。
頭の中で、叫ぶ自分。
ここにいてはいけないと、本能が叫ぶ。
砂漠の辺境にはこの世ならざるモノがいる。それは、夜になると砂漠じゅうをうろついて人を狂気に陥れる。
砂漠に出てはいけないよ。
砂漠には、恐ろしい魔物がうろついているから。
砂漠には、狂気が棲んでいるから。
だから、決して砂漠に出てはいけないよ。
子供の頃の大人たちが語る脅し文句など迷信だと思っている。
そんな魔物、いるわけがない。もしもいるとすれば、それは人間だ。汚い欲と生存本能で極限状態の人間が魔物になっただけだ。
だが彼の心は叫んでいた。
早く街に戻れ。
王宮に戻れ。
を連れて一刻も早くこの砂漠から街へ戻るんだ。
そうしなければ、彼女は人間ではなくなってしまう。
気がつけば、ジョーノはの手を掴み走っていた。
痛い、放せと叫ぶ彼女を無視してひたすら来た道を戻る。熱が出たように頭がくらくらするが、そんなものに構ってはいられない。
一刻も早く街に戻る。
ただそれだけのために、彼は走っていた。
幸いは昔から足が速くて女にしては体力もあった。ジョーノが全力で走ってもしばらくはついて来れる位には。
けれど、毎日王宮で兵士として鍛錬をしている今の彼と、日々を神官としての修行と勉強ですごしている今の彼女では歴然とした差がある。
すぐに、はジョーノの手を振り払う。
「何すんのよ! 痛いって言ってるのが聞こえないわけ!?」
怒鳴り声に目をやると、当然のごとく怒りの表情がそこにあった。
「大体何で戻るの!! 私は帰らない!! 戻るならあんた一人よ」
まるで感情任せなその言い方は、普段なら同じように怒鳴り返す所だが、今は気にならない。
ただ黙殺して、数秒、を見る。
ふと浮かぶのは、が昔より小さくなって良かったな、とばかのように呑気な考え。
そして一歩近づいて、何か喚いている彼女の鳩尾に拳をひとつ。
怒鳴り声は不自然に途切れる。の体がゆらりと傾ぐ。
片腕でそれを支えて、ジョーノは一言、呟いた。
「わりぃな、」
でもこうでもしないと、お前はそのまま砂漠に消えてしまうだろ?
それは言葉になる事は無く。
抱えあげた身体が予想以上に軽かった事に、彼は小さく苦笑した。
今夜を待つ君が
あまりに嬉しそうだったから。