神を望む眼

 キサラを護るように現れた、銀の光をまとった魔物は、彼女と同じ色の瞳でただじっとキサラと、そして彼女を抱えるセトを見おろしていた。
 暗い地下で、淡くも神々しい光に包まれたその白き竜の姿は、魔物と呼ぶには美しく荘厳すぎた。そう、それはまさしく―――

「神だ」

 アクナディンは低くそう告げた。

「あの娘のカー。あれは紛れもない、神……ファラオの三幻神にも匹敵する力を秘めている」

 白き竜の圧倒的な力は畏怖するに十分な存在感を放っていた。
 アクナディンがキサラのカーを神と形容するのも、なるほど納得がいく。

「セトよ、白き竜を決して逃がすな。あれは、この王国の未来を左右する存在だ。あの神を、なんとしてでも手に入れるのだ」

 興奮を抑えるような声で語るアクナディン。

「娘の魂と白き竜が直結していると言うのならば、娘は犠牲にしてもいい。今の我々に必要なのは、誰もが認める神だ。あれは、申し分なくそれに適任であると……」

 そう思わないかね、セト。

 問いかける言葉にセトの表情は曇る。
 しかし、熱にうかされたようにアクナディンはなおも語った。

「王の行方が知れぬ今、この国には代わりとなる神が必要なのだ。人々を導く存在が。それも、早急に」

 兵や神官たちの必死の捜索にも関わらず、今もファラオの居場所はおろか、その手がかりすら見つからない。
 頼みの綱である、アイシスの力でもってしてもお手上げという状況だった。
 そんな彼女の予言に、統べる者が必要だと出たとしても、新たな神を携えて誰かがその場に収まるなどあり得ないとセトは思っていた。
 セトにとってのそれは、現ファラオ以外にはないのだ。
 だからこそ、何の情報も無い現状でも彼は信じていた。
 若き王は生きている。
 万が一、怪我でもして動けないのなら、王は自分たちが迎えに来るのを待っているはずだと。
 だが、彼の思いとは逆にアクナディンの言葉は、ファラオはもう死んでしまったと言っているようにすら聞こえる。
 この状況でその不安が首をもたげるのは仕方のない事かもしれない。
 だが、その考えが国の中枢を担う神官団の中にあっていいはずがない。
 そして何より、慈悲深き人徳者として知られるアクナディンが、キサラの犠牲にしても良いと口にした事が、セトには信じられなかった。
 アクナディンは、異国の民だという理由で他者の命を蔑ろにするような人ではない。長い師弟関係において、セトはその事をよく知っていた。
 しかし、セトの思いを知ってか知らずか、アクナディンは少しうわずった声で語りかける。

「セトよ、あの白き竜を手に入れるのだ。あれこそが、お前を更なる高みへと導いてくれるだろう」

 深く慈愛に満ちていたはずの声は、今や恐ろしいまでの気迫でセトの周囲の空気を包んでいる。

 何かがおかしい。
 頭の中で警鐘が鳴る。
 どこか妙だ。
 さっきから声が、言葉が。セトの知るアクナディンと違う。何かが。どこかが。
 ――一体、どこが?

 それを見極めるようにアクナディンを見つめたとき、きらりと光を反射した千年眼。
 背筋にぞくりとしたものが走り、セトは思わず目を伏せた。
 恐怖にも近いその感覚をごまかすように、口を開く。

「アクナディン様!」

 全てを見透かすような黄金の眼から逃れるように。彼の師たる神官の、得体の知れない違和感を払拭しようとするように。

「お言葉ですが、今は何よりもファラオを探すのが先決ではないでしょうか! ……幸いキサラは我々の保護下にあります。白き竜については、今すぐに何かせずとも、機を見計らいつつ対処していけば良いのでは?」

 そして、アクナディンの意識を、一刻も早く白き竜から別のところへ向けさせなければ。
 告げるべき言葉を口にし、アクナディンに背を向けたセトは、知る由もなかった。
 金属の瞳が鈍く光をはね返し、遠ざかる彼の背に向かって、アクナディンがうわごとのように呟いた言葉を。

「白き竜だけではない。お前は、黒き竜も手に入れねばならぬ……」

 異国の娘の、神々しいまでの白き竜。
 未熟な神官の、有り余る力を秘めた黒き竜。

「私には見えるのだ、セトよ……」

 白と黒。光と闇。
 強大な力を持つ二体の竜を従え、お前が王国に君臨する、その姿が。
 決して夢では終わらせない。
 現に竜はセトのすぐそばにいる。彼が手にいれたも同然だ。
 しかしファラオに忠誠を違うセトは、決して自ら玉座を望む事は無いだろう。
 ならばアクナディンが取るべき行動はただひとつ。
 セトの背を押し。その手を引き。この王国で最も貴い椅子へ彼を導くのみ。

古からの慣例。
娘の血は捧げられる為にある。