story-3
食糧が、ない。
冷蔵庫の中にも食器棚の中にも、テーブルの上にもベッドの上にも下にも、そして床の上にも。
口にできそうなものが何一つ、ない。
他人からは生活力が無いだの、不潔極まりないだの、腐海に住んでいるだの評されるでも、一面緑色になったパンや綿のような沈殿物が生成されているペットボトル飲料を口に入れる気にははれなかった。
食べれるかもしれないけれど、いろんなものが保障されない。
「……そと、出なきゃだめかな」
独り言をこぼして、水道を見る。前にまともに物を食べたのはいつだったろうか。そろそろ何かを食べないと、さすがに危ないような気がする。
第一頭が回らない。これじゃあ仕事にならない。
カロリー食品のストックさえも切らすなんて、なんて迂闊だったんだろう。
「行きたくないなあ」
外出するのは苦手だ。
日の光の下を歩くのも、他人が大勢いる通りを歩くのも、店員と僅かな会話をすることも、全部苦手で、億劫だ。
だからこそ、カップ麺も缶詰も栄養補助食品も通販で箱ごと買っていたのに。
ふと、ブルーノに言われた言葉が脳裏をよぎった。
ポッポハウスに行けばクロウがいる。遊星もいる。ジャックは……いてもいなくても大して変わらないけど。
「うー……」
しかし、あそこにはブルーノもいる。
「クロ兄、出前してくんないかな」
もれなく面倒なお説教もセットで付いてくるけれど。
「行くしか、ないか……」
溜息と共にそう呟いて、はのろのろと机の脇に転がっていた帽子を手に取った。
二、三回手ではたいて埃を落とすと、頭に乗せる。できるだけ深く、目元まで引っ張り下ろした帽子のつばの下から町を覗き込むようにして、は食糧を買いに部屋を出た。
遊星と共にジャンクショップを回りDホイールを改造するのに必要なパーツを探すはずが、ブルーノはうっかり遊星とはぐれてしまった。
ほんの少しだけよそ見をした隙に、隣にいるはずの頼りになる友人の姿は跡形もなく消えていた。
「困ったなあ」
ブルーノにとってこの界隈は初めて来る場所だったし、はぐれてしまったとなったら遊星も心配しているだろう。また迷惑をかけてしまった。
しかもこの年になって迷子だなんて、ジャックなんかに知られたらまた色々口うるさく言われるような気がする。……自分の年齢なんて覚えていないけれど。
溜息をつきながらふと脇を見ると、少年がひとり、ガラの悪い二人組に絡まれているのが見えた。
シティといえど、裏路地の、さらにジャンク屋が密集しているような場所だ。そう治安が良いわけではない。
特にサテライトとシティがひとつになってからは、サテライトのほうから流れてきた層もそれなりにいると聞く。無法地帯と言っても過言ではない場所から来た彼らが集まるような場所なのだから、なおの事、この辺りはシティにあっても危険な地域なのだ。
「僕も絡まれないようにしないと」
遊星たちならいざ知らず、暴力に訴えられたら自分に勝ち目が無い事をブルーノは知っていた。暴力反対派な彼としては何事も平和に終らせたい。
が、ブルーノの視界の端で、胸倉を掴まれた少年の帽子がふわりと落ちる。そこからこぼれた金色の糸に、ブルーノは目を見開いた。
不健康なほど色白な肌に、怒りに満ちたはちみつ色の瞳。太陽の光をまぶしく反射する金髪は紛れもなく、汚部屋に住む風変わりな知人に間違いない。
何事か怒鳴りつける青年の声に、「あ、やばいかもしれない」と思った時にはもうすでにの手はポケットに伸びている。
尻尾を膨らませた黄金色の猫は、今にも爪を剥き出しにして相手に飛びかかる寸前だった。
「うわーーーーーーー!! ちょっとちょっと! 暴力反対!!」
慌てて叫びながら二人の間に割り込むと、をはじめ二人組の青年もこちらを睨む。
「ほらほらそれしまって! 危ないでしょ! 向こうで遊星たちも待ってるから! さあ、行こう! 行くよ!!」
まくしたてるようにてに向かって。そして相手が喋り出す隙を与えずに続けた。
「すみません迷惑かけましたっ!! もし何かありましたら噴水広場のポッポハウスまで来て下さいね!! それじゃあ今日はこの辺で失礼します!!」
あっけに取られる相手を無視して、すかさずの腕を掴むとぐいぐい引っ張って、おそらく今歩いてきたであろう道を戻ってゆく。
放せ、と叫びながら罵詈雑言を吐くは、恐らく力いっぱい抵抗しているのだろうが全く問題外だった。
そもそも彼女は、軽すぎる。
そんな体重では、ブルーノはおろか、同じ女性であるアキにだって力で勝てはしないだろうと思われた。