6月某日 梅雨の放課後
 昼過ぎに降りだした雨は止む気配なんてちらとも見せず、しとしとと陰気に町中を濡らし続けていた。
 短い髪は湿気を吸って落ち着きなく暴れている。
 そこらじゅうどこもかしこも包み込んだ高湿な空気は、それでも飽きたらずに私の体の中まで不快な湿度で満たそうとしているようだ。
 梅雨は嫌いだ。
 陰気な湿度にいらいらしてしまう。早く梅雨が明ければいいのに。
 むしゃくしゃした気分を当て付けるように、下駄箱から取り出した靴を乱暴に床に落とす。
 どうせこの雨の中帰るんだ。家につく前に靴の中まで水浸しになるのは目に見えている。それが一層いらだちを増加させた。
 わざとらしいため息をついて靴を履いて傘を手に取って学校の軒下から灰色の空を見上げた。
 ああ嫌だ。帰る事すら面倒くさいと思ってしまう。
 天気のせいで薄暗い玄関とまばらな生徒のせいか、本来の時間よりも遅いような感覚に襲われる。
 何気なく目をやった玄関の端に、良く見知った相手を見つけた。
 陰湿な空気の中にあって、相変わらず淡い光を反射するような窓際の硝子細工。
 キサラは雨の降る校庭を静かに見つめていた。
 ふと目が会って、にこりと微笑み返してきたその儚げな笑顔が、今日に限ってとても…
 そう。とても、ウザかった。

 私は元からいい子じゃない。
 嫌いな子は嫌いだし、相手もしたくない。だからそうしてきた。
 キサラの事は嫌いじゃない。多分好き。
 けれど、キサラみたいに大人しくて内気そうで何考えてるかわからないような子は元々苦手だ。
 苦手なのだ。
 だから今さらキサラの事を面倒に感じたとして、それは元の自分に戻っただけ。
 それなら今までしてきたように、無視すれば良かったのに。
 それなのに、今日に限ってなぜかその選択肢は出て来なかった。

「今、帰り?」

 そうかけられたいつもの声に、胸の中で黒い感情が沸き上がる。
 ましろで透明な窓際の少女。きっと、こんなどす黒い感情とは無縁の子。
 きれいすぎて、見ていていらいらする。この子を傷つけてやりたい。ひどい言葉でもって、壊してしまいたい。
 目の前から追いやって、見えないところに押し込んで、それでも足りない。美しい硝子細工なんて、粉々に砕いてしまいたい。

「うん。帰るよ。なんで?」

 頭の中でも、雨の音がしているようだった。
 キサラに答えた声は明らかに低い温度で彼女に届いたように思う。
 証拠に柔らかな表情が心配そうなものに変わる。

「あの…具合でも悪い…?」

 気遣う言葉に、私のいらいらはどんどん大きくなる。

「べつに。…つかさ、キサラのそういうしゃべり方、こういうじめじめした日だと余計気が滅入るわ。陰気っていうか、暗いよね」

 ぱちん、と音を立てて蓋の止め金が外れたような気がした。

「そんなだからさ、クラスでもウザがられてハブられてんじゃない?」

 キサラの色白の顔が、白を通りこして青くなった。表情がこわばって瞬きすら忘れてるみたい。

「正直さ、疲れるんだよね」

 凍りついた表情のキサラにぷいと背中を向けて雨の中傘をさして歩き出す。

 スッキリした?
 止まない雨の音に混ざって頭の中で声がした。
 うるさい。うるさい。何もかもうるさい。
 その口閉じて黙れよ。
 頭から離れないキサラの表情。
 いらいらにもやもやが追加されて頭がおかしくなりそう。
 スッキリなんてする訳ない。口にするべき言葉じゃなかった。
 言う前から知ってたし、今それを嫌ってほど痛感してる。
 それでも言わずにいれなかった私は、本当に馬鹿で嫌なやつだ。
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