旅の舞姫

 ふわり、ふわり。
 薄い布でできた衣装を身に纏い、楽士の奏でる音色にあわせて踊るのは、長い金色の髪の女性。
 豊かな胸に、細くくびれた腰。挑発的な視線を放つ瞳は、紫水晶の色。
 同性から見ても惚れ惚れするような容姿の舞姫は、お世辞にも広いとは言えない酒場で、空間の制限から解き放たれたように軽やかに踊る。

 は夢見心地で舞姫を見つめた。
 旅の踊り子を見るのはこれが初めてではない。今までに何人もの旅芸人を見たし、その中で踊り子もたくさんいた。
 どれも美しく、見惚れるような容姿の娘たち。華やかで、軽やかで、まるで夢のような踊りを見せてくれる。
 そして今、この酒場で踊る女も同じく。否、今まで見てきたどんな踊り子よりも彼女は美しく、その踊りは巧かった。

「きれい……」

 思わず呟いて、はうっとりと彼女を見つめる。
 音楽は今や一番の盛り上がりを見せ、赤い顔の男たちをさらに挑発するように、舞姫はふわりふわりと風を起こす。
 砂漠を抜け、いくつものオアシスを渡って異国へと繋がる、自由の風。
 この人はきっと、煩わしいものに足をとられたりする事なく流れるように生きていくのだと、思った。
 強烈な憧れ。
 街にいる限り、あらゆる決まりごとに縛られて生きるしかなく、そしてそれより更に厳しい掟のある道を目指す自分には訪れない自由の風。
 素敵だな、と思うのはにとってはごく自然な感情で。
 情熱的に、そして時には感傷的に。束縛される事のない風を巻き起こしながら軽やかに舞う彼女がひどく羨ましく、そして眩しく見えた。

「お疲れさまです! とってもきれいでした」

 きらきらと瞳を輝かせながら、そう言ったのは、店の客も引き上げた後。
 奥のテーブルを囲む旅芸人の輪から外れ、ひとり麦酒の入った器を眺めるかの舞姫は、の言葉に顔をあげた。
 紫水晶の瞳はに笑みを返し、「ありがとう」と一言。
 ただその声を聞いただけでも解る、彼女がとても強い意思を持っているのだという事。

「あんたは……この店の子かい?」

 少し考えるようにして訊ねられ、は左右に首を振った。

「お手伝いに来てるだけ。おばさんと母さんが昔からの知り合いだから」
「ふーん……飲む?」

 ひょいと差し出された器。
 苦笑でそれを断ると、少しだけつまらなそうにを眺めてくすりと微笑む。

「まぁ、まだ子供だしねぇ。あんたが羨ましいよ」

 そう言う表情が心無しか寂しげなのが、にとっては不思議で仕方ない。
 彼女はとても美しく、そして何よりも自由に見える。どこまでも飛んでいくことのできる風を振り撒いているのに。

「私はお姉さんのほうが羨ましい」

 思わずそう言うと彼女はため息をひとつ吐いて腕を伸ばした。
 すらりと細い指がの頬に触れる。
 あたたかな熱がふわりと伝わって、それだけで胸がどきどきする。
 それを知ってか知らずか舞姫は優しく口を開く。

「どうしてアタシが羨ましいと思ったの?」
「凄くきれいだもん。私はそうはなれない」
「ばかだねぇ。そんなもん。あんただってもう少し大人になれば、とびきりの美人になれるんだよ?」

 首を傾げて覗きこんでくる紫水晶の瞳。

「あんたには、まだ選択肢が山のようにあるじゃないか。美しく飾っても、アタシはしょせん奴隷の身だ。もう選べる道すら無い」

 だから、あんたが羨ましい。

 そう言って微笑んだ彼女は、やはり今までに見たことのあるどんな舞姫よりも、どんな女性よりも美しかった。
 思わず憧れを抱かずにはいられない程に。

 返す言葉の見つからないに向かって、とびきりの秘密を告げるように。彼女はひどく穏やかに微笑んで言った。

「アタシね、次に生まれたときは、思い切り好きなように生きるって決めてるんだ」

風のように軽やかな彼女の決意は
岩のように重かった。