痛むのは
「あのぅ……」
大丈夫?
そう問う女は、紅玉のような目で俺様を見ていた。
自分で言うのもなんだが、今の俺様はぼろ鼠もいいとこだ。おまけに手足にはたくさん傷があるときた。
これで大丈夫に見えるんなら、その目は本当にただの紅玉なんだろう。
無言で睨み付けると、女は困ったように眉をよせる。
「けが、してるんでしょ? 痛む? ……どうしよ。手当ての道具なんか今持ってないし……」
最後は呟くように言って頭を掻く。
夜の闇のような長い黒髪が揺れるのを見ながら、思う。
なんなんだ、こいつは。
ちょっと王墓からお宝拝借して、らしくもなく最後で失敗した。
墓守の兵に追い掛けられて、やっと逃げ切り、誰もいないような街から離れたオアシスに転がりこめば、まるで当たり前のようにこの女がいた。
泉のふちに腰掛けて、水に足をつけて。こっちに振り向いた表情は、驚きと困惑。けど、すぐに心配に満ちた目で駆けよってきた。
差し出された手を払いのけて倒れた俺様は今、この紅玉の瞳の女を見上げている。
途方に暮れたようにしていた女は、やがて意を決したように服の裾を破って泉の水に浸すと、俺様のそばに膝をついた。
「お兄さん、強そうだから大丈夫かもしれないけど、痛かったらごめんね」
そう言って、顔の傷をそっと押さえた。
痛みなんか何ともねえ。
こんなもん、怪我に入りもしねえ。
痛いのは、傷じゃない。
思い出が、痛い。
傷に触れる、優しい手。
とうの昔に無くしてしまって、もうぼやけた記憶にしか残ってないぬくもり。
かつてそこにあった筈のものが、今と重なって、思い出が、痛い。自分のと比べて、あまりに頼りなさげな小さな手。
それは、ぼやけた記憶の物とは違うけれど。
「お兄さん、なんか古傷だらけ。何してる人?」
まばたきしながら言う女からは、悪意が感じられなくて、それがもどかしい。
何故、ここにいる。何故、心配そうな目をする。何故、俺様に触れる。何故、その手はあたたかい。
どうして、こんなにも……
「うるせえ……消えろよ……」
零れ落ちる言い慣れた言葉は、普段と変わらず。
その瞬間、一瞬だけ女の顔が小さく引きつった。
「そう」
小さく頷いた女の顔は笑顔。
「じゃあ、おいとまする。私も暇じやないもん」
と、その右手が伸びてきて俺の腕に触れた。
微笑みは、まばたきの後に無表情な怒りに変わる。
「人の好意は素直に受けなさいよ。そういう言葉は今の自分をしっかり見てから言えってのよ」
言うが早いか女は力一杯傷口を握った。
「い゛ッ……!! この野郎! 何しやがる!!」
思わず跳ね起きて女の腕をねじあげる。
俺様を見る女の目がほんの一瞬だけ、まるで本物の紅玉のようにきらりと光ったような気がしたが……多分気のせいだろう。
「何よ、痛いんじゃない。強がっちゃってさ。ばかみたい」
苦痛の声でも、放せと懇願するでもなく、『本当に男ってばかばっか』と呟いて、女は息をついた。
そしてやっと、痛いから放せ、と言う。
理解できねえ。こいつ、何なんだよ。
呆れて解放すると、女は腕をさすりながら笑った。
「本当に元気そうで何より。力有り余ってるんじゃない?」
危機感とか、そういう物を感じないのか、こいつは。
「私、ほんとに用事あるから、行くね」
立ち上がるのを見ながら、実はこの女、俺様より年下なんじゃないかと気付いた。
笑う顔は、まだ幼い。
何なんだよ、こいつ。
そんな疑問がぐるぐる回って、思わず口を開いた。
「名前は」
「は?」
きょとんとこちらを見る紅い瞳。
……なんつぅ阿呆面だ。
なんでこんな奴の名前なんか聞いてしまったのか、早速後悔しそうだぜ。
「トト。お兄さんは?」
「トトか。気に入ったぜ。俺様はバクラだ。覚えとけよ。次に会ったら容赦しねえ」
にやりと笑うと、トトはにこりと微笑みを返してきた。
「うん。わかった。バクラ」
高すぎず、心地よい声が、俺様の名前を呼んだ。
あぁ、まただ。
思い出が、痛い。
手を振って去っていく後ろ姿を見ながら。さっきの笑顔を見ながら。
どうして、こんなにも彼女の笑顔を壊してやりたいと思うのか。
世界に復讐を誓う前の話