そして彼女は言ったのだ。(パラドックス)
 龍可が帰宅して、とパラドックスは向かい合って座った。
 無言の時間に、ただ時計の針が動く音が響く。
 パラドックスの金の瞳は、ぼんやりとテーブルの中央を捉えていた。
 珍しい物など何ひとつ無いアパートで、一番珍しいのは彼自身だとは内心考える。
 この大いに訳ありな未来人と一緒に生活するなんて、つい一時間前には想像もしていなかった。きっと彼も、自分のような人間の家に居候する事になるなど、予想すらしていなかっただろう。
 お互い訳ありな人間同士、仲良くしましょう。とは口が裂けても言えず。
 どうしようかと考える彼女に向って先に口を開いたのはパラドックスだった。

「何故、助けた……」

 静かな声は時計の秒針の音を掻き消して、それでも水に溶かした塩のようにするりと消えた。
 野垂れ死ぬ事を望むかのようなその声の余韻が完全に消え去るより早く。

「助けたんじゃない。あたし達はあなたを突き落としたのよ」

 反射的には言い返す。
 穏やかなように見えて、良く見れば気が強い事がすぐに解る鋭い眼がパラドックスを見据える。
 ぴくりと彼の眉が動いたのを合図にするように、は続けた。

「死にたがりな革命家さん? あなたは生かされた。ここで元の時代にも還れず甘んじて生を過ごす事がどんなに屈辱か、悔しいか、それが解らない程あたしは馬鹿じゃない」

 ほんのいっときと言えど、未来は彼の手にあった。
 スターダストが奪われ、過去が変えられたあの時、未来は確かに彼の手の中にあったのだ。
 過去から未来を生きる命が消え、未来で過去に死んだ命が灯った。
 けれど彼が戦いに負けたその時に、未来は彼の手から零れていった。
 未来を生きるものには生を。過去に消えるものには正しい寿命を。

「結局あなたは、ほんとうの時間にいても生きることになっていたのよ。絶望を目の当たりにして、生きる事を恨んで、過去を憎んで、世界を呪っても、生きる予定だったんだわ」

 そう口にするの顔に、龍可がいた時の柔らかい優しさは無い。まるで罪状を読み上げる裁判官だと、パラドックスは思った。
 結局何も出来なかった。かえることの出来なかった未来。
 最後にして唯一の希望であり、ただ一つ心から願った事だった。

 世界を生き返らせる。そのためにならば、過去など――

「あなたが消えたがっているから、あたしはあなたを助けたのよ」

 ためらいも無く言い放った少女の手が伸び、パラドックスの襟元を掴む。
 ぐい、との顔が近づいて耳元で声がした。

「生きなさい。生きるために世界を壊そうとしたんでしょう。ならあなたは、壊される事の無かったこの世界を、自分が終わる時まで見ていなさい」

 それがどんなに苦痛でも。
 作られてゆくはずのものを、未来からの手で書き替えようとした、あなたの目的はつまるところ罪だった。

 低く告げる声に、ぞわりと肌が粟だった。
 言葉には力があるとは、よく言ったものだと思うが、の言葉はまさにそうだった。
 じわりと刺さり、抉っていくような。
 ゆっくり確実に、痛みが広がる。

 ――どこに?

 壊れてしまえばいいと思った心に。


 不意に、襟元を掴んでいた手が頬に触れた。
 苦労を知らないだろうと思われた彼女の手は、予想に反して柔らかいながらもしっかりしていた。
 久方ぶりの人間の熱は、ひやりとした彼の皮膚にじわりと染み込む。

「あなたは生きて。未来は、あたし達が変えてみせるから」

 正面から覗き込むまっすぐな瞳。さっきまでの、重量すら感じさせる程低く重かった声が嘘のように、の声は柔らかかった。
 そのくせに、まっすぐ芯の通った強さが見えていて。

「…………馬鹿な女だ……」

 再び目を伏せて言った言葉に、小さくの笑い声が被った。


同じ言葉を、かつても聞いた。
彼女は彼女を救えるだろうか。

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