夕暮れと夜の支配する世界。
それが、現在。
世界に朝と昼が存在したのはもう遠い過去。
はるかな昔。どこで誰が間違えたのか、世界は破滅の道を選んだ。
それは、人間が長い歴史の中で選んできた小さな選択が数え切れない程に積み重なった結果。
かつての世界で人々が愛した朝と昼の輝き。
まばゆい光の時間を無くしても、人は荒廃した世界で生活を営み。
荒んだ大地の上にも、確かに幸福は存在していた。
愛する人と過ごす時間の、ささやかな幸せ。
けれどそれさえ、長い歴史の選択は奪っていった。
揺れる大地。
地平線の上に沈みゆく朱色の夕日。
過去の遺物である、巨大な立方体を成した建造物のてっぺんで、彼女は手を組んで祈っていた。
その後姿に、彼は叫ぶ。
早く逃げろ。ここは崩れる。
けれど彼女は、柔らかな笑みを浮かべた表情で左右に首を振った。
だめよ。
澄んだ鈴の音を思わせる可憐な声が拒否の意志を告げる。
わたしはここを離れない。
何故、と叫んだ彼に、朱の光を背負った乙女は凛と顔を上げて彼を見つめた。
黒曜石のような黒の瞳が揺らぎ無くまっすぐに彼の目を見る。
崩壊の中にあって、まるでそこだけ別世界のような静寂の眼。
ああ、彼女はもう決めてしまったのだ。
頭の奥で、呟く自分の声を聞いた気がした。
そして、音にならなかったはずのその声に答えるように、彼女は言った。
わたしは、ここで祈ることを定められた。わたしが祈る事が世界が崩壊の運命から逃れることができるなら……
彼の知る誰よりも穏やかで美しい微笑。
そして、彼の知るどんな人よりもまっすぐで固い意志。
だめだ、と叫ぶ彼の声を掻き消すように、揺れる大地の轟音が響く。足元に亀裂の走る過去の建造物は、確かな終焉を迎えているのに、それでも彼女の周りの世界はまるで別の次元にあるかのように静寂を保つ。
彼女を縁取る朱の光が、いっそう強く輝いた。
そして彼は、祈りの乙女の最後の声を聞いた。
あなたは、いきて。
そこは、あなたの望んだ世界でないかもしれない。
わたしの願った世界ですらないかもしれない。
それでも、わたしの守れた世界にあなたが存在してくれるならば、わたしはしあわせでいれる。
崩落する足元。
微笑を浮かべ、終わりの光さえ届かない闇の中へ吸い込まれるように落ちていく彼女の。
優しい瞳からこぼれた一粒の真珠ははじけて消えた。
彼女の名を呼ぶ彼の叫び声は、終わりを告げる轟音に掻き消された。
そして彼は時を遡る。
彼女を終焉の祈りから解き放つ
歴史を創るために。